こんにちは、むぎ(@mugiburogu)と申します。
何もないのに生きづらさやしんどさを感じている人へ。
死にたいと思っている人へ。
わたしが死にたいって思っていた頃のお話をしようと思います。
素っ裸の中学生
「希死念慮」という言葉すら知らない中学生の頃、わたしはある期間毎日泣いていました。
理由は自分でもきちんとは分かりません。ただ、周りは凄い人間で自分はダメ人間だと思っていました。
いじめられてるわけでも、親が厳しすぎるわけでもありませんでした。それなのに自殺しようと思っていました。今だったら駄目だって思えるけど、「いっそのこと、いじめてくれたり、親が厳しかったり、なんか理由があったら死ねるのに」と本気で思っていました。
「なにもないのに死にたいって思っている自分はおかしいんだ」「わたしは自分の人生を生きていけない不良品なんだ」と毎日泣きました。
わたしだけの問題にわたしがついていけなくて、ずっと暗闇の中にいる気がしました。
何をしたらいいかもわからないし、生きる意味がほしかった。生きる意味があったら、それにすがって生きていけると思ったから。
なんでわたしだけが楽しく生きていけないんだろう。周りはお気楽に生きていっているのに。羨ましい。妬ましい。悔しい。どうしてみんなにはできて自分にできないんだろう。あの子みたいになりたい。
そんな黒い感情に包まれると一気に泣きたくなって、もうそこからは涙が枯れるまで泣き続けていました。
ラジオだけが自分のよりどころでした。SCHOOL OF LOCKの掲示板を見ては「ひとりじゃないんだ」と思って、安心しました。ラジオから聞こえる心地よいロックが胸を熱くさせてくれて、嫌なことを忘れさせました。
わたしは感受性が豊かです。不安や緊張が強く、傷つきやすいタイプです。劣等感の塊でした。中学生の頃は、何も身に着けずに戦場に飛び込んでしまう、そんな時期だったのかもしれません。
それでは当たり前のようにボロボロになります。
わたしは鎧を身に付けました。
強がりなだけの高校生
鎧を身に着けたので、すっかり強くなりました。無敵でした。
なのにずっと生きづらさを感じていました。
人に迷惑かけないようにしなきゃ。全部自分でできなきゃだめだ。周りによく思われたい。自分はキャラ的に勉強できなきゃ。みんなをまとめる存在じゃなきゃ。頼られる人にならなきゃ。
外側に付けた鎧は強いのに中身のわたしは弱いままでした。
それもそうです。身に着けた強さは、本当の強さではありませんでした。見せかけだけの強さでした。
それはいろんな「~しなければないけない」に押し固められたものでできていました。
「強いね」って言われるたびに強くなきゃ駄目だって思って、「いい子だね」って言われるたびにいい子じゃなきゃ駄目だと思った。
課題にぶつかるたびに落ち込んで、それでも「強くならないと」「いい子でいなきゃ」って頑張っていたら、いつの間にか弱音を吐けなくなった。気付いたら息苦しくなってました。
うすうす分かっていたことに気付かされたとき、絶望感がわたしを襲いました。
変わりたい、変われない。わたしは駄目だ。辛い。死にたい。死にたいんじゃない。消えてなくなりたい。みんなの記憶の中から消してほしい。まるで初めからいなかったかのように、静かにいなくなりたい。
死ぬ方法を考えました。できるだけ苦しまずに死ねる方法を。そしたら家族と友達に申し訳なくなって、涙があふれてきて誰にもばれないように泣き疲れていつの間にか寝てました。
静かな夜が大好きで、ずっと起きていたいと思いました。学校はすきだ。だから行きたい。だけど、夜の住人になってずっと星を見続けていたいと思いました。唯一落ち着いてて癒される時間でした。
少しだけ自分にもなにかできそうな予感を夜が教えてくれました。
死にたがってたわたしだけど
「死にたい」に理由なんてあってもなくてもいい。自分がそう思ってしまっていることが、全てなんだと思う。
死にたいって思うことは全然悪いことじゃない。風邪をひいたら熱が出たり頭痛くなったり、そんなことと同義なのだと思ってる。
自分がなんで死にたいのか、文章に書くと落ち着いてくる。言葉にして自分に伝えてあげると楽になる。見えなかったものが見えるようになるかもしれない。
ちょびっとの希望だけで生きていけそうな感じがする。ただそれだけでいい。わたしにラジオがあったように、夜があったように。ちょびっと何か、すがれるものがあるだけで大丈夫。本でも映画でもゲームでも音楽でも。モノづくりの趣味とかダンスとか。
周りのことが明るく見えて、綺麗ごとにしか聞こえない。そんな時期もあって、親に学校に友達に社会に怒っていても何も変わらなかった。
動かないと何も変わらない。目の前の真っ暗から飛び出そう。これはあなたにしかできないことです。強くなれるよ。大丈夫。
最後に。
わたしはね〜
学校は行っても行かなくてもいいと思うよ
だけど、行った方がいいと思うよ
行っても欲しいなとも思う
親には教育を受けさせる義務があるけど、子どもには受ける権利があるから
権利を使うかどうかは別の話だよ
自分で決めていいんだよ— むぎ’19⛅丁寧に生き暮らすが目標 (@mugiburogu) August 26, 2019
大人はさ学校にはいかなかなゃだめだ、辛かったら行かなくてもいい、って言うけどさ、
両方正解ではないと思う
学校は気づけば行ってた場所だろうけど、どうするかは全部自分で決めるんだよ
無理はする必要はなくて、自分がいいって思った方をいつも選択すると後悔ないと思う— むぎ’19⛅丁寧に生き暮らすが目標 (@mugiburogu) August 26, 2019
いじめがしんどくて行きたくなくて、それが自分のためにいいと思うなら行かなければいい
ただ勉強がしたくなくて行きたくなくて、勉強よりも手に職付けれるくらい没頭できることがあって自分の将来のためになると思うなら行かなくてもいい
何とかって言われたから、とか、誰々に言われたからじゃなくて— むぎ’19⛅丁寧に生き暮らすが目標 (@mugiburogu) August 26, 2019
わたしは勉強が好きだった
だから学校に行きたかったし行った
新しいことを知れる本が沢山ある図書館が好きだったし綺麗な星が見れるプラネタリウムが好きだった
車が好きなら自動車工場や車屋さんに行けばいいし、昆虫や動物が好きなら山や動物園に行けばいい
自分の場所は自分で決めていい— むぎ’19⛅丁寧に生き暮らすが目標 (@mugiburogu) August 26, 2019
わたしの思うことはこうさ。
何でもいいです。なんでもいいから、DM下さい。お話し相手くらいならなれるかな。
むぎ(@mugiburogu)